城好きが教える鹿児島城(鶴丸城)の見どころと御城印の入手場所

鹿児島には日本100名城にも選ばれた「鹿児島城(別名、鶴丸城)」があるのはご存じでしょうか。
しかし、お城と聞いて熊本城や姫路城のような立派な天守……を想像して鹿児島城へ行くと、「あれ? お城はどこ?」と思うかもしれません。
実は鹿児島城、もともと天守が築かれなかったお城なんです。
一見すると大きな門と石垣が残っているだけ。でも、城好きの目線で歩いてみると、石垣にはちょっと変わった仕掛けがあり、西南戦争の生々しい痕跡があり、他の城では見られない貴重なものがあるのです。

今回は、城郭検定を持つ私が「ここは見てほしい!」と思う鹿児島城のポイントを紹介します。「お城=天守」と思っている方にこそ、ぜひ知ってもらいたいお城です。
そもそも鹿児島城(鶴丸城)ってどんな城?
鹿児島城は、関ヶ原の戦い直後の慶長6(1601)年頃、初代薩摩藩主・島津家久が築城を始めた島津氏の居城です。
正式名称は「鹿児島城」。「鶴丸城」という呼び名は、背後にある城山にちなんで後に呼ばれるようになりました。現在の鹿児島県歴史・美術センター黎明館が建つ場所が、かつての本丸です。
鹿児島城の特徴は、城山に残る中世以来の山城と、その麓に造られた本丸・二之丸などの居館が一体となっていること。
つまり「大きな天守を中心にしたお城」というより、背後の山城と麓の御殿を組み合わせた城だったんですね。
そして、ここからが鹿児島城の面白いところです。
なぜ鹿児島城には天守がなかった?

「薩摩藩は77万石もの大藩なのに、質素な城を造った」
鹿児島城については、長くそんな説明がされてきました。
ところが近年の調査では、単に質素だったのではなく、島津家があえて天守を築かない城づくりを選んだ可能性が指摘されています。鹿児島県も2026年に「天守を築かなかった城 鹿児島城」というリーフレットを発行し、この考え方を紹介しています。
では、なぜ天守を造らなかったのでしょう。
ここで一つ、個人的に面白いと思う見方があります。
戦国時代の終わりから江戸時代初めにかけて、巨大な天守は単なる見張り台ではなく、新しく権力を握った支配者が、自分の力や支配の正当性を目に見える形で示す建物でもありました。
大坂城などは、その分かりやすい例かもしれません。
豊臣秀吉が豪壮な大坂城を築き、豊臣氏が滅んだ後には、徳川幕府が豊臣期の城を大量の盛土で覆い、その上に新しい大坂城を築き直しました。
「ここを治めるのは、これからは徳川である」
城そのものが、権力の交代を目に見える形にしていたとも考えられます。
一方、島津氏は突然現れた新興大名ではありません。
鎌倉時代以来、長く南九州に根を張ってきた名門です。
言い換えれば、鹿児島城を築くころには、「島津とは何者なのか」を巨大な天守によって改めて薩摩の人々に示す必要性が、それほど高くなかったとも考えられます。
「大きな天守を建てて島津家のすごさを見せなくても、薩摩で島津の名を知らない者はいない」
少し大胆に言えば、そんな長い歴史に裏打ちされた島津家の自信が、天守を持たない鹿児島城の姿に表れているのかもしれません。
もちろん、これは「島津の支配が完全に安泰だったから天守を造らなかった」と断定できる話ではありません。
ただ、鹿児島県の近年の研究でも、島津家が室町時代以来の武家の伝統や格式を重視し、天守を必要としない城づくりを選択した可能性が示されています。
そして、この話を知ってから見ると、次に紹介する御楼門がぐっと面白くなります。
見どころ① 城門としては日本最大級の「御楼門」

鹿児島城に到着すると、まず目に飛び込んでくるのが御楼門(ごろうもん)。
高さ、幅ともに約20m。奥行きは約7m。
現在復元されている御楼門は、日本最大級の城門です。
高さ20mといえば、現代の建物ならおよそ6階建て前後の高さ。ちょっとしたマンション並の大きさです。
「天守は造らなかったのに、なぜ門はこんなに大きいの?」
ここが鹿児島城の面白いところです。
そもそも「櫓門」って何?
御楼門は、城門のなかでも櫓門(やぐらもん)という形式です。
簡単にいうと、門の上に櫓のような建物を載せた門。
鹿児島城の御楼門は二重二層で、大きな屋根や漆喰壁、連子窓を備えています。
つまり、ただ扉を開けたり閉めたりする「入口」ではありません。
門であり、防御施設であり、巨大な建築物でもある。
屋根には鯱もあり正面から見ると、門というより「入口に小さな城が建っている」といった方が近いかもしれません。
巨大な門そのものが島津家の「格式」を表していた?
鹿児島城には天守がありません。
一方で、その正面玄関にはこれほど巨大な御楼門がありました。
ここから考えると、島津家は「権威を建築で示さなかった」のではなく、天守とは違う方法で格式を表していたとも考えられます。
御楼門は鹿児島城で最も格式の高い門で、藩政期には誰でも自由に通れたわけではありません。
資料によれば、通行できたのは藩主格以上の人物や上位の家臣などで、「寄合並」以上のおよそ100人に限られていたとされています。
城下から鹿児島城へ近づいてきた人の正面に、巨大な御楼門がそびえている。
「ここから先が島津家の城である」
そう言葉にしなくても、その大きさだけで十分伝わったのではないでしょうか。
江戸時代にこんな門を造るだけでも大変
復元された御楼門には、とんでもなく太い木材が使われています。
正面の柱は最大で約88×60cm。奥側の梁には直径約90cmのケヤキの丸太が使われています。
現代ですら、この規模の国産木材をそろえるのは珍しいことだとされています。
これを江戸時代に造るとなれば、巨木を探し、伐採し、運搬し、加工し、巨大な建物として組み上げなければなりません。
大きな建物を造れること自体が、資金力だけでなく、木材を集める力、人を動かす力、職人の技術など、藩の総合力の証明だったとも言えそうです。
御楼門を見るときは、ぜひ門の真下まで行って柱や梁を見上げてみてください。
「これを400年ほど前の人たちはどうやって造ったんだろう?」
そう考えると、御楼門の大きさがまったく違って見えてきます。

約11億円をかけて147年ぶりに復元
江戸時代の御楼門は何度か建て替えられており、幕末に残っていた門は1844年に建て替えられたもの。
しかし1873(明治6)年、本丸の火災とともに焼失してしまいました。
その御楼門が、古写真や発掘調査などを手掛かりとして2020年に復元。
147年ぶりに鹿児島城の正面玄関がよみがえりました。
復元工事の総工費は約10億9千万円とされ、官民一体で進められました。鹿児島県の決算資料では御楼門復元のために集まった寄付金の累計が約6億1,800万円に達しています。
門一つに約11億円。鉄筋コンクリート造りの10階建てビルが余裕で建ってしまうレベルの金額です。
そう考えるだけで、御楼門が普通の門ではなく、鹿児島の人たちの思いがたくさん詰まっていることが分かります。
見どころ② 天守がないからこそ「石垣」を見てみる

鹿児島城は「建物を見る城」というより、残された地形や石垣から昔の城を想像する城だと思っています。
何気なく見ると全部同じ石垣に見えますが、近づいてみると石の形や積み方、加工の仕方が場所によって違います。
石には家紋や幾何学模様、石工の印など、さまざまな刻印も残されています。
「なんでここだけ形が違うんだろう?」
そんな小さな違和感を探しながら歩いてみるのが、天守のない鹿児島城の楽しみ方です。
見どころ③ 石垣の角がへこんでいる?珍しい「鬼門除け」

黎明館の北東側まで歩いたら、石垣の角に注目してみてください。
普通なら角になるところが、途中で少し内側へ欠けています。
これは「隅欠(すみおとし)」と呼ばれるもの。
北東=鬼門の方向から災いが入ってこないように、あえて石垣の角を欠いた「鬼門除け」とされています。
しかも鹿児島城が面白いのは、単に「鬼門除けだろう」と推測されているだけではありません。
当時の絵図そのものに「鬼門隅」「鬼門除」と記されており、鬼門除けの目的を文字資料でも確認できる非常に珍しい例です。
知らなければ、たぶん普通に通り過ぎます。
でも理由を知ってから見ると、
「本当に角がない!」
と、ちょっと嬉しくなるポイントです。
こういう発見が城歩きの醍醐味なんですよね。
見どころ④ 石垣に残る西南戦争の弾痕

そして鹿児島城で絶対に見てほしいのが、石垣に残る無数の穴です。
これは1877(明治10)年に起きた西南戦争の戦闘の痕跡。
鹿児島城跡の石垣調査でも、西南戦争による銃弾痕や砲弾痕が確認されています。
写真で見るより、実際に目の前で見る方がずっと生々しいです。

江戸時代の島津家の城だった場所が、明治になると西南戦争という日本最後の内戦の舞台になる。
鹿児島城では、江戸時代だけでなく、幕末から明治へ続く歴史を一つの場所で見ることができます。
近くにある私学校跡の石垣にも多くの弾痕が残っているので、時間があればあわせて歩いてみるのもおすすめです。
見どころ⑤ 地味だけど面白い。かつての「水路」

そして最後は、水路(排水溝)です。
「お城に来て水路を見るの?」と思うかもしれません。
でも、お城にとって水の処理はかなり重要です。
鹿児島城のすぐ後ろには城山があります。
当然、大雨が降れば山から大量の水が流れてきます。その水を適切に逃がさなければ、城の敷地が水浸しになるだけでなく、石垣にも大きな負担がかかります。
鹿児島城の調査では本丸跡から排水溝などが確認されており、城山側から流れてきた水を本丸北側の堀へ排水する仕組みも明らかになっています。
きらびやかな天守や櫓と比べれば、ものすごく地味です。
でも、
「400年前の人たちも雨水対策には苦労していたんだな」
と思いながら見ると、急に身近に感じませんか?
戦うための仕掛けだけでなく、城を維持するための仕組みを見るのも城歩きの面白さだと思います。
鹿児島城に来た記念に「御城印」をゲット
鹿児島城をひと通り歩いたら、登城記念に御城印も手に入れておきたいところ。
鹿児島城の御城印(税込300円)はこれまで黎明館から少し離れたところにある鹿児島まち歩き観光ステーションで販売されていましたが、2026年4月15日からは、黎明館1階の「CHIN JUKAN POTTERY 喫茶室」と「城山シーズニング」でも買えるようになりました。
つまり現在は、鹿児島城を見学したあと、そのまま黎明館内で御城印を入手できます。城好きにはうれしいですね。

城歩きの〆は鹿児島の「甘いもの」で
御城印を手に入れたら、そのまま黎明館1階の城山シーズニングでひと休みするのがおすすめです。
城山シーズニングは、鹿児島でおなじみの醤油ブランド「サクラカネヨ」の直売所・レストラン。黎明館1階にあり、現在は10時から17時まで営業しています。
個人的におすすめしたいのが、
サクラカネヨのみたらし団子と、醤油ソフトクリーム。
鹿児島らしい甘めの醤油を使ったみたらし団子は、城歩きで少し疲れたカラダの塩分&糖分補給にぴったり。
市販のみたらしのように甘すぎず、ほど良い甘さの中に醤油の風味がしっかり感じられて、いくらでも食べられそうです。
そしてぜひ一度試してほしいのが醤油ソフトクリームです。
「醤油とソフトクリーム?」と思うかもしれませんが、ソフトクリームの甘さに醤油の香りと塩気が合わさって、甘じょっぱい味わいがクセになります。
御楼門や石垣を見ながら鹿児島の歴史を楽しんだあと、今度は醤油を通して鹿児島の食文化を味わう。
そんな締めくくりも、鹿児島城散策らしくていいのではないでしょうか。

鹿児島の“甘い醤油文化”をおうちでも
県外から鹿児島に来た方が驚くものの一つが、醤油の甘さ。
刺身醤油をはじめ、味噌、だし、つゆなど、鹿児島には地域の食文化から生まれた個性的な調味料がたくさんあります。
お土産にするのはもちろん、自宅に帰ってから鹿児島の味を楽しんでみるのもおすすめです。
かごかご.jpでは、鹿児島の醤油・味噌・だしなど、さまざまな調味料を取り扱っています。
ぜひこちらもチェックしてみてください。
鹿児島城は「知ってから歩く」と面白い
鹿児島城には天守がありません。
江戸時代の建物も、ほとんど残っていません。
でも、御楼門の巨大さを感じ、石垣の積み方を眺め、鬼門除けを探し、西南戦争の弾痕を見て、最後に昔の水路を見る。
そうやって歩いてみると、「何もない」と思っていた城跡から、400年以上の歴史が少しずつ浮かび上がってきます。
お城は必ずしも、天守を見るためだけの場所ではありません。
残された石垣や地形から、そこにあった城や暮らしを想像する。
鹿児島城は、そんな城歩きの面白さを教えてくれる場所だと思います。

鹿児島市内に来たら仙巌園や桜島だけでなく、ぜひ鹿児島城の御楼門をくぐって、鹿児島歩きを楽しんでみてください。
投稿者プロフィール

- 日本遺産ソムリエ(日本遺産検定3級)、城郭検定3級保持。横浜出身。ウェブやシステム制作を担当。小学生の娘の成長と旅行が楽しみという40代。家族の記念日や実家の両親への贈り物は欠かさない。スイーツ男子の一面も持ち、雑誌やSNSなどで話題の店は常にチェック。



